※ここは常に30年前の話をするスレッドです
イカ天リニューアル
バンドオーディション番組「三宅裕司のいかすバンド天国」は平成元年を象徴する大ヒット番組となり、アマチュアバンドブームそのものを牽引していく存在だったのでありますが、「たま」と「マルコシアスバンプ」という強力なグランドイカ天キングが連発した後、平成二年に入ると、明らかにイカ天は精彩を欠いていきました。
出場するアマチュアバンドも、さすがに毎週10バンドずつ出てくると、そろそろネタ切れの感じも出ていたのです。
それが顕著だったのはマルコシアスバンプが「グランドイカ天キング」に挑んだ6週目の時のことです。そこで番組は「強烈なチャレンジャー」を用意できなかったのですね。つまりディレクターであるジャクソン井口氏の
「グランドイカ天キングが懸かる週には、あえて強烈なチャレンジャーをぶつける」
というポリシーを果たせなかったわけです。そんなわけでマルコシアスバンプの戴冠劇は、あまり盛り上がりを見せずに終わってしまったのでありました。
そこでイカ天は番組に大ナタを振るいます。
それは「レギュラー審査員を全員入れ替える」という大胆なものでした。そして新たな人選は大物スタジオミュージシャンが勢ぞろいという感じであり、それはマンネリによる「色物路線」を批判されつつあった番組が、今一度「バンドオーディション番組」にリセットする表れであったのです。
結果・・・
イカ天はその後、じわじわと時代からフェードアウトしていく事になりました。
イカ天の審査員
イカ天を彩った審査員を紹介します。
萩原健太
審査員長として「事前に参加全バンドの映像を見ることが出来た」唯一の人間でした。貫禄のある感じでしたが、実は当時34歳で、あの吉田健よりも7つも年下だったという衝撃の事実なのです・・・マジで50くらいかと思ってたよう・・・。
湯川れい子
副審査員長的立場の毒舌家です。「恋におちて」と「六本木心中」の作詞家だったので、僕らの世代は畏敬の念を持っておりました。
中島啓江(故人)
オペラ歌手で音程にうるさかった人です。さらに暴力的なバンドや自称美形バンドにはかなり厳しい目を注いでおりました。太っていることをよくネタにされていたのですが・・・
吉田建
ジュリーや氷室京介のブレーンの一人で、当時は泉谷しげるのバンド「ルーザー」に所属しておりました。クールな物言いが女子からの絶大な人気を呼び、人気タレントランキング入りも果たしてましたね。
伊藤銀次
アマチュアバンドへの造詣に深く審査の要の一人です。プレイヤーであり、アレンジャーとしても大活躍中だったため、バンドのテクニカルな面を細かく&優しく言及しておりました。
グーフィー森
自称「タクティシャン」。多くの人にとっては謎の人物だったでしょうが、個人的には11PMのコメンテーターとして周知の人物でした。のちに福山雅治をプロデュースし世に送り出すという功績を残しました。
ラッシャー木村(故人)
ガールズバンドのノーマジーンに対し「耐えて燃えろ」という名言を残しました。番組後半にはスポンサーのモランボンのCMにも出演。本業はプロレスラーで、音楽とは無関係ですが、審査で投じた票はいつもまともでした。
内藤陳(故人)
冒険小説協会会長で「ハードボイルドだど」が口癖。基本的にラッシャーの休みの時の穴埋め要因でしたが、巡り合わせでグランドイカ天キング時の審査に関わることが多く、その都度、苦悩しておりました。
四方義郎
「元サディスティックミカバンドのファッション評論家」という、バブルならでは「胡散臭さ全開」の男です。みんなに騙され、三宅裕司の代わりに司会を担当したこともありました。現在も「ちょい悪オヤジ」として胡散臭く活躍中です。
村上ポンタ秀一
毒舌だがバンドへの愛情溢れるコメントを発していました。
デーブ・スペクター
番組で一度マジギレしたことがあります。
つみきみほ
ゲスト審査員では最多参加です。
という感じですね。
なんかほんと懐かしいですね。
二浪するために
というわけで。30年前のその頃、予備校生で受験真っ最中だった僕は、なんとかムサビに滑り込んだものの、その一方で、本命の芸大受験は落ちてしまいました。それゆえ、翌月からの自分の身の振り方の決断を迫られ、日々悶々としていたのです。
NONが芸大に受かるであろう今の状況においては、当然僕も芸大に行きたいわけです。道路を隔てお互いの美意識を追求する関係・・・かねてよりの夢であった「美術家と音楽家のカップル」を実現すべく、僕は一年後の芸大受験を心に決めておりました。はい。来年こそはと。
そこには二つの選択肢があったのです。それは
「ムサビを蹴って二浪に突入する」ことと、
「ムサビに入学して仮面浪人する」
というものでした。
そのどちらを選ぶにしても・・・当時の僕にとっては、かなり大きな問題を抱えることにもなるのですね。さらにはそれを悩む時間というものは、既に僕には殆どありませんでした。正に一刻も早い判断を迫られていたのです。
全てに醒める
そうです。もう3月なのです。いつの間にか周囲の全ての人間が新生活に向かっていました。私大系のやつらは、とにもかくにも全員が進路を決めており、一浪で予備校生活にケリをつけていました。そして芸大系の人間は、ジムモリソン男もイケメンミズキもキマちゃんも、みんな二浪して芸大を目指すと宣言しておりました。
僕はそんな中で実に自分が宙ぶらりんだと感じていました。
あの日、NONと微妙な感じで別れて以来、僕は何だかすべての事に微妙に醒めていたのです。今思うと、それは現実逃避でもあったのかもしれないですね。
「合格発表は一緒に観に行くよ」
「だって半分は俺の責任だからな」
明日は芸大の最終合格発表です。
それはNONとの、あの日以来の顔合わせの日でもありました。
幸せであるように
三宅裕司に「イカ天はこの曲とともに歩む」とまで言わせしめたフライングキッズの名曲「幸せであるように」。
20181109幸せであるように(カバー)からの二枚でどうだby黒沢伸@宮尾すすむと日本の社長&サイキックサーカス
この動画は「宮尾すすむと日本の社長」の黒沢伸がボーカルで、「サイバーニュウニュウ」の和製メカエルビスがギターを弾いているという『イカ天30周年記念演奏バージョン』であります。ちなみに「フライングキッズ」の浜崎貴司の許可を取った演奏だそうです。
なんかこの曲は確実に「あの時代のテーマ」という感じがしますね。そしてその鎮魂歌でもあるのであろうと・・・