※常に今から30年前のお話をするカテゴリーです。
平成元年の春に上京して新宿に住み、代々木の美術予備校に通っていた僕は、バブル真っただ中の東京で初めて年明けを迎えて、受験期に突入しておりました。
「たまVSマルコシ」その3
バンド勝ち抜き番組「三宅裕司のいかすバンド天国」。
「たま」のグランドイカ天キングがかかった週に登場したのは「マルコシアスバンプ」というグラムロックバンドでした。彼等の演奏は素晴らしく、「たまあやうし!」ンも空気がスタジオには漂っておりました。
そんな中で「たま」が5週目に選んだのは「まちあわせ」という曲でした。伴奏は知久氏が一本弦で奏でるギターのみのほぼユニゾン曲。演奏時間もたった1分半という、実に実験的な曲です。
これに関して「たま」の石川氏は宝島のインタビューで
「最後だから好きにやらせてもらった」
「グランドイカ天潰しだった」
と答えていたのですが、僕はその言葉を額面通りには受け止めませんでしたね。
演奏後のスタジオにはどよめきが起こりました。「何もこれを最後に持ってこなくても…」と司会の三宅裕司氏はぼやき、ゲスト審査員の大島渚氏に話を振ります。
すると「評価不能」というスタジオの空気の中、大島渚氏は
「優れた作品というものは作り手の手あとを感じさせずぽっかりと存在するもの。これはぽっかりとした作品で大変良いと思う」
とはっきりと言い切りました。結果、4対3で「たま」の勝ち。たまが4代目グラウンドイカ天キングに輝きました。ちなみに審査員の票は
萩原健太 マルコシ
湯川れい子 たま
グーフィー森 マルコシ
吉田健 たま
伊藤銀次 たま
内藤陳 マルコシ
大島渚 たま
でした。
ガク話5
ミスドのカレー皿キャンペーンが終わったので、僕らの溜まり場は、代々木の雑居ビルにあるウェンディーズ(通称ウエンド)に戻っていました。
その日の夕方、僕は試供品のコーヒー片手に一人でテーブル席に座りました。こうしていれば自然と仲間が集まってくるのです。
気が付くと、少し離れたテーブルにベイビー(夏の自由制作のモデルになってもらった女の子)が友人たちと座っておりました。ベイビーもこちらに気が付き、お久しぶり的に手を振ってくれました。僕はベイビーの100万ドルスマイルを見て、相当心が癒されたのです。
「小さいけれど確かな幸せってこういうことだなあ~、っていうか、やっぱ可愛いなあ、なんかもう今日はもっといい事がありそうだな。かっこうかっこう、小確幸!」
なんて思ってしまったわけです。すると
「あれ?ツノダじゃん!」
と軽薄な声が聞こえました。僕が顔を挙げると、そこにいたのはあのナル野郎のガクでした。
「ええっ!なんでガク!?なんでお前がここにいるの?」
「ここでシオカワたちとバンドの打ち合わせをするんだよ」
僕は『ターミナルドグマでひょっこり渚カヲルと遭遇してしまった日向マコト』のように動揺しました。
「まずいまずいよこれは・・・」
こんなところにいたら、間違いなく僕の(ガクと絶対に喧嘩になりそうな)仲間が来てしまいます。断る間もなくガクは僕の前に座り、ペラペラペラペラ自慢話を始めました。
僕は耳から耳へスルーしつつ、一刻も早くのシオカワの登場を祈りました。きっとハロウィンの時同様に「ウェンディーズの女神」が僕に微笑んでくれるはずです。
すると、
「よお!」
とあまりにも聞きなれ過ぎた声が、僕の背後から聞こえてきたのです。僕が恐る恐る振り返ると・・・
そこにはトレーを片手に、あのサトーが立っていたのでした。
「たまVSマルコシ」その4
マルコシアスバンプとの死闘を制した「たま」に対し、審査員長の萩原健太は「比類なき個性でもう誰も勝てない」と総評で語ってしまいました。僕はこの言葉が当時のアマチュアバンドブームを終わらす「きっかけ」になったと今でも思っています。
そして萩原はマルコシアスバンプの事も絶賛し、負けたはずの彼等を「仮イカ天キング」として番組に残しました(イカ天という番組にそのものを考えれば、結果的にこれは悪手だったと思う)。その上で、
「歌詞なんかについても、これまで『たま』以外に、良いなと思う歌詞を書くバンドは一つもなかったのだけれど、マルコシアスバンプの歌詞は凄くカッコイイと思う。ふと見落としがちなところだけど、そう言うところも大事かなと」
と翌週語っているのです。
こうなると番組として(「たま」の奇策もふくめて)、この「たまVSマルコシ」以上の対決は、もやは「イカ天」に望むべくもありませんでした。
ルパンで言うならば「ルパン対マモー」と「カリオストロの城」の対決の後に、「この2つよりもっと面白いルパン作品を作れ」と言われているようなものです。
実際、マルコシアスバンプはその後、ほぼフルマークでグランドイカ天キングになりました。その期間中に、武道館でイカ天の一大イベント「日本イカ天大賞」が行われるのですが、僕はこれが「イカ天の最終回」という認識でいます。
ガク話6
ガクとサトー・・・
もう最悪の顔合わせの実現です。僕はリアルで頭を抱えてしまいました。
サトーは当時、ウェンディーズのサラダがお気に入りだったのです。それはレジで小さな容器を貰って、そこに自分でサラダを取るというものでした。時はバブル。今のサラダバーと違って「おかわり」はありません。
サトーはトレーにナプキンを敷き詰め、そこに「こぼしイクラ丼」の要領で、トレーいっぱいにサラダを山盛りにしていたのでした。
それを見たガクが眉を顰めます。
「おいおい、頭オカシーのかよ」
それを聞いたサトーの表情が一瞬変わります。
「いやいや、頭オカシーのは事実なんだけど、なかなか面白い俺のダチなんだよ。わはははは!」
僕の笑いにつられた二人はとりあえず態度を保留します。
ガクはサトーを無視してしばらく僕に自慢話を続けました。テーブルの雰囲気は海溝の底のように超重くなっています。僕は『シオカワよ、早く来てくれえ』と心で念じてました。するとそれまで黙ってサラダを食べていたサトーが
「なんだこいつ、失礼な奴だな」
とはっきり言いました。それを聞いたガクは
「なにそれ?この相席の人、機嫌悪いの?」
と僕に話を振りました。
『いやいや、いきなり灰皿を投げないだけ、むしろ今日のサトーは機嫌が良い方なんだよ。近くにはベイビーもいるし、何とかここらで収まってくれないかな』
そう思った僕は苦し紛れに
「あのさ、俺来週センター試験なんだよね。福島から上京してきて、ボロアパートで頑張ってきて、遂に芸大受験なんだよ。だからこんな凄い大事な時期に気持ちを乱したくないんだよ。二人は俺から見ても絶対に合わないから仲良くしてくれとは言わないけど、今は俺のために喧嘩だけはやめてくれないかな?」
と意味不明なお願いをしました。我ながら滅茶苦茶だとは思いましたが・・・その場に沈黙が続いています。すると僕の目にはガクとサトーの頭の上に
『うーん、よく解らんが、センター試験は確かに大事だな。まあここはツノダの頼みだから我慢しておくか』
という言葉が浮かんでいるのが見えたのです。とはいえ、当然その後もシオカワが来るまでスリコギと唐辛子を使った拷問のような緊張感を強いられた僕ですが・・・この組み合わせを乗り切ったことは妙な自信になりました。きっとセンター試験では良い事があるはずだと。
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ガクはその後、毎日のように予備校に来るようになり、僕の(一部の人間のできた)仲間ともじんわりと仲良くなっていきました。ガクはよく「布」の入った袋を大事そうに抱えていました。「自分で服を作る」という話もフカシでは無かったのです。
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あの日のウェンディーズの僕とガクとサトー。
「特に思い出すことも無かった遠い昔の記憶」
そんなものが時を経て「決して忘れられない、かけがえのない思い出」に変化する時があるのです。忘れ去られたら本当に消えてしまうものが。
今はただ忘れない。
僕が死ぬまで忘れないと。
(ガク話おわり)